カスタマーハラスメント(カスハラ)と企業の責任:安全配慮義務と裁判例を踏まえて
近年、顧客からの過度な要求や暴言、暴力などが従業員に対する深刻なハラスメントとなり、社会問題として注目されています。これらは「カスタマーハラスメント(カスハラ)」と呼ばれ、企業には従業員を守るための法的義務が課されています。本記事では、カスハラの定義、関連する法的義務、関連する裁判例及び企業に求められる対応についてまとめました。

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カスハラの定義
2025年6月4日に、労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(労働施策総合推進法)が改正され(以下、改正された労働施策総合推進法を「改正法」といいます。)、カスハラは以下のように定義されることになりました(改正法33条1項)。
① 職場において行われる顧客、取引の相手方、施設の利用者その他の当該事業主の行う事業に関係を有する者の言動であって、
② その雇用する労働者が従事する業務の性質その他の事情に照らして社会通念上許容される範囲を超えたもので、
③ それにより労働者の就業環境が害されるもの
これに該当しうる行為の具体的な例としては、暴言や暴力、長時間の拘束、過度な謝罪要求などが挙げられます。その上で、社会通念上許容される範囲を超えるかについては、顧客等の要求内容が妥当かどうか、要求実現のための手段・態様が不相当かどうかを総合的に考慮して決定することになります。
暴力・土下座の要求等は、不相当な言動であることが明らかですが、その他の多くの場合は、社会通念上許容される範囲を超えるか否かにつき、考慮すべき要素が多く、判断が難しいです。
そのため、企業としては、個別のカスハラを認定し、どう対応するかも課題になりますが、カスハラの疑いがある事案が発生した場合に、従業員の就業環境を守ることができるよう対策しておくことが重要です。
関連する法的義務
カスハラに関連する法律上の義務として安全配慮義務が挙げられます。
企業は、労働契約法第5条に基づき、従業員の生命や身体等の安全を確保しつつ労働させる義務を負っています。これを「安全配慮義務」と呼びます。カスハラは、従業員の心身に重大な影響を及ぼす可能性があるため、企業はカスハラに直面した従業員に対し、適切な措置を講じ、安全配慮義務を果たす必要があります。
企業の安全配慮義務違反が問われる場合には、カスハラを受けた従業員から損害賠償請求をされてしまうおそれがあるので、注意が必要です。
これに加え、改正法により、新たに以下の義務が事業主に課せられることになりました。
① カスハラにより、労働者の就業環境が害されないよう、労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じる義務(改正法33条1項)
② 労働者がカスハラ関係の相談または、事業主によるカスハラ対応に協力した際に、事実を述べたことを理由に労働者を不利益に扱うことの禁止(同条2項)
厚生労働大臣は、これらに違反した事業主に対して、助言、指導、勧告をすることができ、さらに勧告に従わなかった場合には、公表することもできる(改正法42条)ので、事業主としては、注意が必要です。
安全配慮義務違反に関連する裁判例の紹介(東京地判平成30年11月2日)

スーパーマーケットの店員であった原告が、顧客との間で清算後のポイントカードへのポイントの付与をめぐりトラブルとなり(原告の言動も顧客に不快感を与えうるものだったようです。)、その顧客が原告を大声でなじるトラブルに発展しました。その後も、複数回、原告とその顧客の間で、トラブルが発生したという事案で、原告は、雇用主である会社の安全配慮義務違反に基づく損害賠償を求めたものの、原告の主張が認められなかったというものです。
原告は、会社が、①原告の店舗に最初のトラブルの原因となったPOSシステムを理解する正社員を配置しなかったこと、②当該店舗の深夜時間帯に、店舗マネージャーが勤務しまたは他の正社員が急行する体制整備をしなかったこと、③早期にその顧客の入店拒否措置を取らなかったことが、安全配慮義務違反だと主張しました。
これに対し裁判所は、①について、クレームに対する初期対応への記載を含むテキストの配布による指導及び店舗マネージャー不在時のサポートデスク等への連絡体制があったとして、正社員配置までは要求されないとしました。
②について、店舗マネージャーへの緊急連絡先及び近隣店舗の連絡先の掲示によりトラブル時の相談体制が整備されていたこと及び非常時のための緊急ボタンが整備され、2名以上での勤務体制が採られていたことから深夜帯のマネージャーの急行まで要求されないとしました。
③について、会社は、その顧客との関係修復のための働きかけ、原告を1週間他の店舗で勤務させたこと及びトラブル再発後にその顧客に入店拒否をする可能性を伝えたことから、入店拒否措置まで実施しなくても、義務違反はないとしました。
その他、会社において、労働者の安全のためにすべき配慮を欠いた根拠はないとして原告の請求を棄却しました。
企業に求められる対応4つ

上記裁判例を参考にすれば、企業は、カスハラから従業員を守るために以下のような対応を講じることが必要だと考えられます。
マニュアル及び研修の実施
クレームに対する対応マニュアルを整備し、従業員に周知した上で、研修をすることで、従業員がカスハラに遭遇した場合の初期対応への困惑を軽減できます。
相談体制の整備
従業員がカスハラを受けた際に相談できる窓口を設置することが必要です。窓口を組織的に整備することは難しい会社もあると思いますが、誰にカスハラ対応を任せるか、あるいは、カスハラの情報を集約させるかを決め、従業員が安心して相談できる体制を整備する必要があります。
具体的措置の検討
悪質なカスハラに対しては、顧客に対してなだめるだけではなく、毅然と対応することも必要です。入店拒否や取引中止といった具体的措置の可能性を告げ、最終的には実行することも検討すべきでしょう。
労働環境の整備
カスハラを未然に防ぐために、状況に応じて従業員を一人で勤務(対応)させない体制とすること、上記裁判例における緊急ボタンの整備にあたるような、緊急時の対応策を事前に準備しておくことが重要です。
なお、厚生労働大臣は、事業主がカスハラに対して講ずべき措置について、その適切かつ有効な実施を図るために必要な指針を定めるものとされています(改正法33条4項)。2025年7月現在、こちらの指針はいまだ公表されていませんが、既に厚生労働省から公表されている「事業主が職場における優越的な関係を背景とした言動に起因する問題に関して雇用管理上講ずべき措置等についての指針」や「カスタマーハラスメント対策企業マニュアル」等を参照しつつ、各企業において、必要なカスハラ対策を講ずるべきでしょう。
おわりに
カスハラは、従業員の心身に深刻な影響を及ぼす可能性があり、企業にはその防止と対応のための法的義務が課されています。昨今のカスハラへの関心の高まりとともに、企業は、カスハラ対策に向け、体制の整備が求められる状況にあるといえるでしょう。
個別のカスハラ対応及びカスハラ対策整備について悩む場合には、弁護士に相談することをお勧めします。